fns歌謡祭 嵐「相葉ちゃん」三浦春馬さん 占い。縦社会嫌い|お名付け 開運堂

縦社会嫌い

なにも信じず、なにも疑わず、ただ確認するだけ|お名付け 開運堂

言葉をそのまま信じるのはちょっと危険なのです。

  根拠なく信じないで、 正しいか正しくないかを 自分で確認すること。 信じるために 確認するわけです。       これは疑う場合も同じ。       なんでもかんでも疑えばいい というわけじゃない。       他者を疑う要領で、 自分も疑ってみるといい。       正しいと「思う」とか「思わない」というのは、 意識の問題です。       それを確認するかどうかは 行動の問題なのです。       意識と行動の両面で 他人との結び付きを持つ。       そのために 「信じた上で確認する」 という姿勢が大事。       自分で確認するわけだから 疑うのと同じ。       つまり 「信じる代わりに自分でも確認する」 という意味です。       「信じているから確認しない」 というのは、 「疑っているから確認する」 という意識の裏返し。       そうではなくて、 信じるから確認するのです。       じゃないと、 他人との結び付きが 意識か行動のどちらかに 偏ってしまいます。       疑っている場合も同じですね。       「疑った上で確認する」ことで、 人との関係が絆となるわけです。       確認すれば人と結び付きますが、   確認しなければ 関係を拒否することになります。       人間関係は「信じるか、疑うか」ではなくて 「確認するか、しないか」が重要 というわけです。       これは、ずっと 口を酸っぱくしてお願いしてますが なかなか浸透しなくて残念なんです。       でも、分かってもらえるまで、 あきらめず根気よく話すんです。       わたしの言葉を信じないでほしい、と。       わたしの言葉を信じるんじゃなくて 疑うのでもなくて、 確認してほしいんだよ、と。       信じてしまうから 疑う羽目になる。       だったら 最初から信じなきゃ問題ない。       わたしが信じるのは、 あくまでも自分自身。       それ以外は信じたりしない。 だから疑うこともない。       疑ってしまって、                                                       仮にそれが勘違いだとなると、 逆に信じなくちゃならないことになる。       それはそれで危険。       信じるというのが、なぜ危険か? お分かりいただけたでしょうか。       信じた対象からは、 かならず裏切られるからです。 他人を信頼しない 疑わない ただ言われた言葉を頭の中で判断するだけ   親子の関係が分かりやすいと思いますが、 学校の先生と生徒、 あるいは監督と選手。 そして、師匠と弟子という「縦社会」 上下関係というものは、 信じる(疑い)という感情を超えた世界です。   厳しい面もある容赦のないシビアな感覚が大切になります。   メンターを信頼するかしないかというより、 それが当たり前 だと思い、洗脳される世界。   自我が芽生えた、心がある人間は厄介です。  

ヴィジュアルネーム「お名付け 開運堂」より

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