日本再興戦略|お名付け 開運堂

著者 落合陽一

一流で、立志伝にでてくるような強い運塾名の持ち主の本だけに、熱量あふれる筆致で、いろいろと気付かせてもらえました。少々それが余ってか、日本が大事と言いつつ、やたらと横文字が出てきて、閉口させられるところはあるものの、十二分に参考になると思います。

ヴィジュアルネーム「お名付け 開運堂」

と公平という概念について、『平等とは、対象があってその下で、権利が一様ということです。何かの権利を一カ所に集めて、それを再分配することによって、全員に同じ権利がある状態を指します。それに対して、公平はフェアだということです。・・・(中略)・・・たとえば、日本人は、センター試験でカンニングなどの不正が起きると怒るくせに、公教育に地域格差があったり、教育機関の差がある人が同じセンター試験を受けることに対しては無頓着です。』

『「愛」も明治以降に日本に入ってきた概念です。日本人には、きずなは昔からありましたが、愛はありませんでした。愛ときずなの違いとは、愛が熱情的な感情を指す言葉であるのに対して、きずなはステート(状態)であるということです。きずなは状態ですので、それが永遠に続くこともあります。しかし、愛はあくまで感情ですから、熱したり冷めたりで総量が変わってきます。』

かつての士農工商という日本的な移動自由な、いわゆるカースト制をよしとし、『大きく分類すると、士は政策決定者・産業創造者・官僚で、農は一般生産・一般業務従事者で、工がアーティストや専門家で、商が金融商品や会計を扱うビジネスパーソンです。』

たまたま読んでいる『地方起業の教科書―――田舎で稼ぐ新しい働き方』(著者 中川直洋)も地方には十分な企業価値があると言っていますが、『ふるさと納税は、ある意味で正しく、たとえば今はモノで釣っていますが、そうではなく、自然と税金を払いたいなと思うような地方自治が求められています。つまり、税税や知的財産や議会などのバーチャルな所属が意味を持ちうるメディアになるべきなのです。』

『今の日本は、この工業的な生産様式をITやイノベーションに向いた生産様式へと変えるべきときを迎えています。IT、イノベーションというと、浮ついて見えるかもしれませんが、要は、フットワークの悪い意志決定の部分だけを小さく試して動けるようにかるくしていこうという考え方です。
 戦後の工場は同じものを大量に安くつくることに集中していましたが、今は、個々人のニーズに合った多様なものを柔軟につくることを求められています。』

今の教育制度にも疑問を呈し、とくに『最初に、小学校に入るまでの幼児期は、五感をフルに使ったほうがいいと思います。におい、味覚、音、目といった感覚や身体能力は、小学校に入るまでの間にほとんど決まってしまいます。とくに絶対音感が身に付くのは3歳ぐらいまでです。ですから、子どもがやりたがっていることは、何でもやらせてあげたほうがいいです。』

『これからの時代は、「自分とは何か」を考えて、じっくり悩むのは全然よくありません。自分探し病はだめな時代です。それよりも、「今ある選択肢の中でどれができるかな、まずやろう」みたいなほうがいいのです。』

『「ポジションを取れ。批評家になるな。フェアに向き合え。手を動かせ。金を稼げ。画一的な基準を持つな。複雑なものや時間をかけないと成しえないことに自分なりの価値を見出して愛でろ。あらゆることにトキメキながら、あらゆるものに絶望して期待せずに生きろ。明日と明後日で考える基準を変え続けろ」』
『ポジションを取るのは決して難しいことではありません。結婚することも、子どもを持つことも、転職することも、投資をすることも、勉強することも、すべてポジションを取ることです。世の中には、ポジションを取ってみないとわからないことが、たくさんあります。わかるためには、とりあえずやってみることが何よりも大切なのです。』

ヴィジュアルネーム「お名付け 開運堂」より

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