占いの裏歴史

New Carthago City

※画像の楔形文字(くさびがたもじ、せっけいもじ)は、紀元前3400年頃現在のイラクのチグリス河とユーフラテス河付近で栄えていた、古代メソポタミア文明で使っていたもっとも古い文字。

そのシュメール人たちが使っていた岩石に刻まれた60進法は、60干支(かんし)の元になっているという説があります。
※60干支とは、甲子園の甲子でもある10干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)12支(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)干と支を順番に組み合わせた占いで使うこともある時を刻む盤。

1分は60秒で、1時間は60分、時の長さを把握するため使っていた単位の1つ。
太陽の形は同じなので、月の満ち欠けや潮の満ち引きなど自然サイクルから導き出した知恵なのか、あるいは宇宙人がもともと使っていたものなのかもしれません。

歴史の裏を覗いてみると、

1962(昭和37)年ころから興った『第一次占いブーム』 と呼ばれる動向が見逃せません。


黄小娥(こう しょうが)氏の『易入門』、そして浅野八郎氏の『手相術』が、それぞれ同じ光文社から刊行されていました。
両書とも大ベストセラーとなって話題となりました。


そこで光文社『占いシリーズ』の第3弾として白羽の矢が立ったのが神秘性とわかりやすさとを備えた『西洋占星術』です。

とくにここ数年になって、鏡リュウジさんの女性誌を中心にした活動が功を奏し、西洋占星術の占い師がたくさん輩出されるようになりました。


その結果、女性誌にはかならず『星占い』のコーナーが常設するようになり、やがて一般誌へも波及しました。


さらには、TVや新聞でも『星占い』を扱うようになって、メディアの占いといえば『占星術』という扱いになりました。


いまでは、日本人で西洋占星学を知らない人はいないでしょう。いつのまにか、自分の生年月日と同じような感覚で『自分の星座』を言えるようになったのです。

ところが歴史を紐解いてみると、なんと今から1100年以上も昔に、西洋占星学の原型が、すでに日本に渡来していたのです。


時代は、空海をはじめとする遣唐使(西暦600年頃~894のおよそ300年間)が活躍していたころ。日本の文明の基礎をつくった人たちがたくさん輩出された時代です。


平安時代の貞観7年のこと。西暦では865年です。
唐から帰国した僧侶が、ギリシャの『テトラビブロス』という占星術の原典となる漢訳書を持ち込んだのです。

平安時代といえば、まさに安倍晴明で知られた陰陽師が活躍した時代。国家あげて、神秘学を政治や経済に取り入れようとしていました。しかし鎌倉時代を経て、室町、江戸と流れるに連れて、完全に命脈が絶たれてしまったのです。


日本に再び西洋占星術がよみがえったのは、大正3年のこと。
『天文ニ依ル運勢予想術』という本が出版されました。しかし、この本は難解だったので、一般には普及しませんでした。この本では『占星学』と呼ばず、『考星学』という名称が使われていたのです。


さて、平安時代に西洋占星術の文献を用意してくれたのは中国でした。その中国では、西洋占星術をうまく中国風にアレンジしました。それが『七政四余』(しちせい-しよ)です。それまで中国では、徐子平が生んだ『子平八字推命』が占いのメインでした。

日本では、「四柱推命」とか「淵海子平」(えんかい-しへい)と呼ばれている優れた運命術です。その四柱推命、つまり「子平八字」と占星術とをあわせて『星平会海』(せいへい-かいかい)という複雑な占いへと発展させたのです。

 ついに中国の占術家は、七政四余や星平会海を基本にして、占星学を完璧に東洋化した『紫微斗数』を誕生させるに至りました。西洋人と東洋人の違いが、それぞれの占法の性格によく現れています。その精密度や適格性も、われわれ東洋人にとって有利なものとなり、しかも詳細な用件に対して判断できるようになりました。でも、これらの占星術が日本で流行しなかった最大の理由があります。それは、 生まれ時刻が判っていないと命盤を作成できないことでした。


とくに当時の紫微斗数は、110個もの星を採用していたために、命盤をつくるプロセスが複雑すぎて占うまでに時間がかかってしまったのです。時代を経て、わが国民も「母子手帳」に生まれた時間を記入する習慣ができました。


ようやく紫微斗数は、最近になってその存在をにわかにアピールし始めました。ただし、なんといっても原型は中国人のための占星術。そのまま使ったところで日本人の感覚にしっくり来るはずはありません。

考えて下さい。漢民族は、ともかく吉凶を知りたがる民族なんですよ。「私は、この男性と相性がいいですか?」「いえ、残念ながら、結婚したらとても苦労しますよ」「わかりました。では、ほかの男性を探します」こんな感じで、女性といえども割り切ったクールな面が漢民族の特徴です。


日本人女性なら、深く思い悩んでしまいますよね。で、悩んだあげく、それでもその男性と一緒になる人が多いでしょう?
だから4組に1組が離婚するのです。

ですから現代日本の紫微斗数は、吉凶をわざと甘めにして、その対処法を提示できるように改良されているのです。
日本人の心理を覗くと、「ただ良いか悪いかを知りたいのではない」ということがわかります。

そういう意味で占星術というのは、その時代や民族性を考慮して、どんどん改良する必要があるのです。ともあれ東洋占星術は、古今東西の学問的な集大成なのです。各人種や地域、それぞれの時代のエッセンスが凝縮された濃厚な「本格命術」なのです。